記念樹の子ども
娘が特別支援学校に通っていたとき。高等部の三年間学年主任だった先生は、作業学習でずっと農園芸班の担当だった。生徒たちと一緒に畑で野菜や花を育てていた。
とれた野菜や花は、少しずつ分けて農園芸班の生徒たちが持ち帰った。学校祭ではお店を出した。みごとな大根は人気だった。
学校祭のお店で売っていたのは野菜だけじゃなかった。貝殻草のドライフラワーの小さなブーケや、陶芸班に焼いてもらった小さな陶器の粒を使ったハイドロカルチャーとか。
高三のとき、卒業記念品についての話があった。「記念樹を植えようと思います」。ハナモモはどうかと写真が保護者たちに回された。ハナモモの苗を二本植えて、娘たちは卒業した。
卒業から三年目の学校祭で、農園芸班のお店に、小さなポットにささってた15センチくらいの枯れ枝があった。その枝を見つめるわたしに、かつての娘たちの学年主任の先生が笑顔で言った「あの記念樹の子どもだよ」。
あの記念樹が育ち、落とした実から種をとり、植えて、育てたんだそうだ。
わあすごい、と、軽い気持ちで買って帰ったが。だんだんどきどきしてきた。枯らすわけにはいかないぞ。なんせ、あの記念樹の子どもを作った先生は、その学校祭の次の春に定年で退職しちゃったし。こんな手のかかることもう誰もやらない。
がんばれ、がんばれ、ハナモモ。
がんばれ、がんばれ、見守るわたし。
もう枝じゃない、小さな木になった。